過去のモデル100本を現役デザイナーがリサーチ
2016年に始まった「シチズンデザインソースプロジェクト」は、シチズンの創業100年を振り返り、次の100年に向けてどのような時計をつくっていくべきかを考えるという社内プロジェクトだ。リーダーを務めたデザイナーの岡村直明は、「過去のモデルに含まれるシチズンデザインらしさを言語化することで、これからの100年に活かせる“秘伝のタレ”のようなデザインソースを抽出することが目的だった」と説明する。その方法として、現代にも通用するデザイン要素をもつ良作100本を選び、現役デザイナーがそれらの細部を観察して得た気づきを言語化し、書籍としてまとめることになった。
プロジェクト当初には、社外アドバイザーとして東京大学 安斎勇樹特任助教によるワークショップを実施。人と組織の創造性を引き出すマネジメント方法論を研究する安斎は、「多くの企業が悩んでいるが、歴史が長いほどデザインのアイデンティティをまとめるのは簡単ではない」と話す。「デザイナーとしての主語『私』と、組織としての主語『私たち』では語る言葉も変わります。自主研究とも呼べるこのプロジェクトにおいては、メンバーが使う主語のレベルを上げ下げしながら、さまざまな視点でシチズンデザインを捉えていくことが肝になる」。そのうえで、シチズンらしいデザインとは何か、100本の選定基準はどうするかなどをテーマに、デザイナーと商品企画担当者がディスカッションした。
次に、シチズンが所蔵する約6,000本のモデルから1,000本に絞り、社員約300名へのアンケート調査を実施した。内容は「シチズンらしいデザイン」と感じる時計3本を挙げ、その理由を自由記述で回答するというもの。アンケートを設計した東京都立大学の伏木田稚子准教授が留意したのは2点。まず「デザイン」という言葉を「時計を製作する際の創意・工夫」と定義し、「外観、技術・機能、感性という3つの観点から評価する」と基準を設けたこと。もう1点は「シチズンらしい時計」ではなく「シチズンらしい“デザイン”の時計」と強調したことだ。プロジェクトの根幹はデザインにあると明示し、会社に対する個人的な想いが先行しないよう配慮した。 伏木田は900件近い回答の自由記述を最小単位の語に分解し、どの語が多く出現するのかを調べた。さらに、複数の語が同時に出る組み合わせパターンを各回答と照らし合わせながら分析。「例えば、ユニークや革新的という好意的な文脈で、技術、電波、アンテナなどの語が一緒に出ていた。それは、“洗練された技術”と解釈できるかなと。そうしたパターンを集めて、デザイナーと一緒にそれぞれ名前を付けました。それがシチズンらしいデザインを表現する12のカテゴリーです」。この「12のカテゴリー」に当てはまることを第一条件とし、今度はデザイナーが中心となって100本のモデルを選定。そのうえで、各デザイナーが1本1本を詳細にリサーチし、どのような使い勝手や感覚をユーザーにもたらしているか、スケッチと言葉で記録していった。
岡村は、「デザインの基本は観察。自ら手を動かすことで気づきを言語化しやすくなる」と話す。参加した岡崎利憲は、「普段の業務ではできない体験でした。個々のデザイナーが思うシチズンデザインらしさを共有でき、自らも考え直す機会となりました」。デザイナーの大嶽彩加も、「過去のモデルをスケッチして向き合ううちに、12カテゴリーのすべての言葉が腑に落ちるのを感じました」と語る。
仕上げとして、このデザインリサーチを通して得た気づきから、最も重要だと考えるデザインソース、未来に継承したいデザインの知見を書籍としてまとめ、社内で発表。安斎は、「できあがった書籍の充実度に驚いた」という。「このプロジェクトはアイデンティティを探りながら、参加メンバーが自分たちの内側に眠っていたものを掘り起こして、シチズンの時計をデザインすることの“ 誇り” を取り戻すプロセスでもありました。自らの足場固めを5年も続け、一冊の重厚な本に集約したことは、インハウスデザインの取り組みとしてとても真摯で新しいと思います」。
量的分析と質的分析の両軸でデザイナーの暗黙知を言語化
ただ、プロジェクトはここで終わりではない。前半はデザイナーの主観によるデザインリサーチだったが、後半ではその成果を再び客観的に捉え、さらなる体系化を目指した。岡村は、「社内で、プロジェクトの成果を今後の商品開発にも生かしていくべきだという声があった」と明かす。「そのためには、前半で取りこぼした気づきに光を当てる必要があると考えました」。
「前半の量的分析に加え、質的分析の両軸で進めるのがよいのではないか」という伏木田の助言に基づき、質的分析を専門とする東京大学の山本良太特任助教が参加することになった。大規模なアンケートには量的分析が向いているが、例えば「この時計はイソギンチャクのように見える」といった、他とは違う意見は“ 外れ値”、“ 例外”として排除されがちだ。また、デザイナーの気づきには安心感や親しみといった感情に関する言葉が多く、そこに山本は違和感を抱いたという。山本は、「今回シチズンデザインの特徴を言語化するために、通常はこぼれ落ちる回答、違和感を感じる回答を拾い上げて、それらの言葉の背景にある感情を分析しました」と話す。 まず、前半のデザインリサーチでデザイナーが寄せた2,000超の気づきのコメントやスケッチをすべてデジタルデータ化。伏木田がそれに量的分析を適用し、「ESSENCE OF CITIZEN DESIGN(シチズンデザインの本質)」として8か条の言葉に言語化した。
一方、山本はデザインリサーチに記述された感情に関わる言葉を、100本のモデルすべてについて抽出し、類似性や共通性によって分類していった。それを76のキーワードとそれをグループ化した11カテゴリーにまとめたのが、「ELEMENTS OF CITIZEN DESIGN(シチズンデザインの要素)」だ。これは個々のデザイナーのなかで暗黙知として蓄積されてきたものであり、シチズンの時計がユーザーに与える感情を形にするためのヒント&テクニック集ということができる。
さらに今回のプロセスから大きな気づきが得られた。それは、「タフとエレガント」「柔らかさと強さ」など、一見相反する要素がひとつのモデルのなかで共存する傾向があるということ。山本は、「矛盾・相反する観点の調和こそ、シチズンデザインらしさを生むひとつの型として機能しているのではないか」と仮説を立てた。さらに「二面性のある複雑な感情を持ち合わせているからこそ『人間味』につながっているのではないか」とも言う。岡村も、「実は自分のデザイン作業においても、この仮説と近しい感じを抱いていました」という。「これまで無意識にやっていたことがデザインチームの共通言語になった。これから意識的に面白い議論や実験が展開されていくと思う。とても楽しみです」。
多様な商品群への落とし込みが課題
プロジェクト自体はいったん完了したが、岡村は「このプロジェクトで結論を導きたいわけではないし、アウトプットをつくって終わりではない」と念を押す。100本のモデルを見ればわかるように、時代が変われば時計も変わる。今回抽出されたデザインソースはあくまで、今のメンバーが今のシチズンデザインらしさについて考え、定義をしつづけていくための資料、という位置づけだ。大嶽も「デザインソースを眺めているだけでインスピレーションが湧いてくる。新しいデザインを生み出しやすくなる土台ができたと思っています」と話す。
今後の課題のひとつは、デザインソースを「アテッサ」「クロスシー」といった多様な商品群にどう落とし込んでいくかだ。そのモデルがユーザーに与えたい感情とは何か、そこに含まれる矛盾・相反の観点は何か、といったテーマを各チームでディスカッションし、これからの商品デザインに反映していく。こうしたボトムアップの活動が進んでいけば、「シチズンデザインとは何か」を一言で定義できる日がくるかもしれない。それこそが、時代や環境が変わっても、変わることのないシチズンデザインの秘伝の味(ソース)というわけだ。
出典:AXIS増刊号「シチズン 時のデザイン」