強さと愛嬌
グローバル化と情報化社会の成熟によって、現代は多数の人と情報が行き交う複雑な時代を迎えました。そして、パンデミックや紛争など、先の見えない不確実性はさらに高まりつつあります。そのような状況の中で、結局のところ私たちにできるのは、ただひたすらに今を生き抜くこと、そのための「強さ」を自ら持ちつづけることではないかと考えました。そして、そのことをサポートするある意味サバイバルツールのようなものを時計でデザインしてみる、というのがこのモデルで試してみたかったことになります。
懐かしい未来
このモデルを構想するにあたって、まずは方向性を決めずに様々なことを考えてみる、ということからはじめたいと思いました。世の中について、時間について、シチズンについて、自分自身の興味についてなどです。以下に少しずつその考えをまとめてみます。
100年分の情熱
2024年6月、東京都千代田区の九段ハウスにおいて、「シチズン」ブランド100周年記念イベント「THE ESSENCE OF TIME」を開催しました。「CITIZEN」を冠した最初の懐中時計をつくり上げてから100周年となるこの節目に、これまでの100年をこれからの100年につなげるべく、各部署から集められたプロジェクトメンバーによって企画が進められ、特にコンセプト立案・展示構成・コンテンツ制作などクリエイションに関わる分野についてはデザイナーがその中心的な役割を果たしました。
この世界を生きぬく人のために
「感情のデザイン」は、2016年からスタートした「シチズンらしさ」を探るプロジェクトから生まれたシチズンのデザインフィロソフィーです。 ― 腕時計は感情とともにある。 一目見たときの「ワクワク」 触れて気づく「やさしさ」 腕につけたときの「安心感」 ふとした瞬間に眺める「喜び」 共に時を重ねることで感じる「愛おしさ」 心の奥にある言い尽くせない感情 身に着けるひとの心の動きに共鳴し 潜在的な感情を呼び起こす。 それが私たちの目指すデザインです。 ―
源流を探り、未来に生かす
創業100周年を機に、シチズンのデザイナーが自ら「シチズンデザインらしさ」を探求するため、過去のモデルに学び、そこから得た気づきを集約して「デザインソース」として言語化を行った。社外アドバイザーによる客観的分析を経ながら、約5年にわたって進められたプロジェクトを紹介する。
ふくよかさ
この時計は多くの機能を持っており、その多機能性ゆえに文字板の密度は高くなります。バランスよく整えられた各要素の配置は、多くの情報をわかりやすく、並列的にユーザーに伝えることを可能としています。 また、サブダイヤルの形状や色使いは、視認性に十二分に配慮されているのと同時に、多機能モデルならではの凝縮感とあいまって、視覚的にユーザーを楽しませる効果があります。 ケースは平面が少なく、張りのある曲面を主体に構成されています。それは、多くの古代文明でみられる豊穣を願う地母神像の母性的なふくよかさを連想させます。 パイロットウオッチというきわめて男性的なモデルのなかで母性を感じさせるところにこのモデルの意外性と個性があります。多機能をただ機能的にデザインするだけにとどまらず、文字板のレイアウトやケース形状などのモデル全体の佇まいを通して、万人が共通して持っているであろう根源的豊かさのイメージを呼び起こすようなデザインだと考えます。
幾何学のテンション
文字板のサブダイヤル同士の重なりや、ボーダーパターンとレコードパターンの組合せなどで構成されたレイアウトは、各要素が幾何学的に整理されていて、見る人に知的な印象を与えます。 ベゼルのコーナー形状は、円/接線/円錐面で構成されたシンプルな幾何形状の組合せ。それでいて、視線の変化によって逆アールに見えたりするような有機的な感覚を生み出しており、このモデルに固有のテンションを加えています。 モノクロの世界の中に幾何形状がロジカルに組み合わさって、隅々まで調和する緊張感を生み出すことで、腕時計が本来持っている知的な側面を表現したモデルです。
優しいディテール
デュラテクトサクラピンクを日本ではじめて採用し、その大人っぽく気品のある色の雰囲気を表現しようと試みたモデル。日本人の肌に合い、ちょっと控えめで凛とした表情をたたえたサクラピンクの色をコンセプトの中心にした新しいデザインアプローチにより、これまでの国内市場の売れ筋とは一味違う新鮮な魅力を感じさせるモデルとなっています。 全体的には落ち着いたデザインですが、見たことの無い新しい色合いと気品に誘われ、手に取りたくなるデザインとなっています。文字板は見やすく、ローマ数字と針も黒一色。見えてくる色を少なくしてサクラピンクが引き立ち、シンプルな印象と凛とした個性を与えています。 一見直線的なローマ数字のフォントは細部にカーブを施すことで、フォントに強弱が生まれ女性らしい強さを表しています。また、見返しリングのミルグレイン表現は、ケースのサクラピンクと文字板の境界を柔らかくつなぎ、エレガントな一体感を感じさせる効果を生んでいます。 優しく主張しすぎず、ディテールの丁寧さによって、長く使っていくうちに愛しさを感じるデザインとなっています。
見えなくする
この時計は鉄道員が使う時計として製造されたもので、社会インフラの縁の下の力持ちとも言えます。そして、そのような公共交通のインフラを支えるべく、実用性に十分配慮されています。時間が合わせやすいよう、12 時位置で秒針が停止する機能を持ち、また視認性(時間の見やすさ)には特に配慮がなされています。 そのため、視認性に深く関わる文字板以外の要素は主張が抑えられています。例えば、ベゼルの細縁・薄縁形状とその面構成、ラグの面構成、ケース下部の刈り上げなどです。 ただし、ただ存在感を消すのではなく、全体としての調和=美しさはしっかりと残されています。本当に見せるべきところを見せ、それ以外は美しく見えなくする。そのような意図がこの時計には含まれているように思います。
有機的ディテール
金属が主成分の腕時計は、工業生産により生み出されるものであり、また昨今ではそのデザイン作業にコンピューターが主として用いられています。そのような中、ともすればその意匠は無機的なものが多くなりがちであるように感じます。 本モデルは、時字、ケース側面、ベゼルや裏ぶたのエッジ、りゅうずなど、細部に曲面やアールをとりいれることで、無機的になりがちな腕時計の意匠において、有機的な要素としてのバランスを取っています。 ある意味では生物的とも言えるディテールを取り入れることによって、身に着ける人に跳ね返すような印象を与えず、心理的な抵抗なく身に着けられるような、適度に柔軟性のある形状をつくりだしています。