技術者の「誇り」が詰まったムーブメント
搭載されるムーブメントCal.E210は、「クオーツで機械式クロノグラフを超える機能を持つ」という当時ならではの思想に基づいて設計されています。丁度20年前の2004年のバーゼルフェアにて発表されたこのムーブメントは、国際的に高い評価を受けました。クロノグラフ機能に加え、アラームのセットやON/OFF、パワーリザーブ等、すべての機能を針で実現しており、合計本数は9本に至ります。ここまで針が多い時計はそうそう存在しないのではないでしょうか。また、これだけの機能を実現させる為の内部機構の部品点数も通常の時計を遥かに上回る数となっており、当時の設計チームの創意工夫と苦労の大きさが窺えます。
当時シチズンは自社の持つ技術力を世界に向けてアピールするという意図もあったはずです。これは、自動車メーカーのレースに対する思想と共通点があります。F1等のレースは、競争の場で培った技術を市販車へフィードバックし、技術力やブランド力を向上させるのが目的の1つです。このムーブメントも、そうした先端開発の一環であり、ここで培った技術がその後のムーブメント開発に活かされています。そうした自社技術に対する「誇り」とも言える意識に魅力を感じ、このムーブメントを用いた時計をデザインしてみたくなりました。
立体パズルのようなケース形状
ケースは、胴と呼ばれるムーブメントを抱える箇所が2体に分割されているのが特徴です。それぞれが入り組んだパズルのような形状となっており、嵌合させる為の複雑な凸凹形状の検討には時間がかかりました。
カバーのように覆い被さる形状のパーツは、実際にバイクや自動車のボディの塗装に用いられるパール顔料で塗装を施しています。ソリッドな金属質感の中に、塗装面が持つ滑らかな質感がアクセントとなっています。
また、一見してわかる特徴は、ケースに施された3箇所の肉抜き穴です。くり抜くことによってプッシュボタンのパイプが露出し、よりメカニカルで機能的な表情を感じさせることを目的として造形しました。実際のレーシングカー等で軽量化の為に用いられる肉抜き穴に対するオマージュでもあります。
9本の針を備えた文字板
文字板には数多くの情報が記されており、元々このムーブメントが持っている機能をレイアウトするだけで相当な密度が生まれます。立体感を重視しており、3箇所のサブダイアルには金属製のリングを配しています。また、タキメーター機能を示している見返しリングは、上下で別パーツとして質感を分けることで情報量を上げています。パワーリザーブの差し色であるライムグリーンは光発電によって蓄えられた電気をイメージしています。
造形による「らしさ」の表現
広義の「デザイン」という言葉と区別するために、デザイナーは「造形」という言葉を用いることがあります。人によって解釈に揺れがありますが、私は狭義のデザイン、つまり形状や色という意味で用いることが多いです。今回デザインするにあたって、車らしさ、レーシングらしさをいかにして造形で表現するかが大きな挑戦のひとつでした。時計に限らず、車やレースといった要素をプロダクトに落とし込む際、ブレーキディスクローターやホイール、チェッカーフラッグ等の具象的なモチーフを用いた表現は広く認知されています。今回は具体的ではなく、間接的な造形によって車の様な複雑な機械の集合体を想起させる事を意識しました。造形によって世界観を表現するのは、デザイナーに求められる基本的な技術の一つであり、正解がありません。今回の試みで、また一つ造形の奥深さを知った気がします。