世の中について
対話型・生成AIなどの出現により情報化の波は今後一層加速することが予想されます。それにともなって便利になる一方で、膨大に増え続ける情報のなかで何が真実かを判断するのは難しくなっていくように思います。そんな中で、何を信じて、何をよりどころとして生きていくのかが現代を生きる人にとっての大きな問題になってくるのではと思います。
個人的には、実態のないデータや情報ではなく手に触れることができる身体的な感覚だけが確かなものとして残っていくような気がします。たとえば、音の波を実体化しているレコードの復興だったり、自然との直接的なふれあいを実感することができるアウトドア志向の高まりだったりが、その反動としてすでに表れていると思います。こうした行為は世界の手ざわりのある実体と自分の身体感覚をつなげることでニュートラルな自分を取り戻すような行為だと考えます。実体があり、手で触れることができる腕時計をつくっている私たちは、このことを再度自分たちの強みにしていくべきなのかもしれません。
時間について
宇宙がはじまったのは約138億年前、いまの人類が生まれたのは約20万年前だと言われています。創成期において宇宙空間はガスのようなもので満たされていて、長い年月をかけてそれが凝縮していくことで星が生まれ、さらにその中から私たちは生まれているそうです。2018年に行われたシチズンのイベントでも登壇いただいた山口大学時間学研究所の藤沢健太教授は、その講演のなかで「私たちは星屑からできている」と語られていました。キリスト教の「灰の水曜日」という儀式では、「灰は灰に、塵は塵に」という祈りの言葉とともに棕櫚を燃やした灰で額に十字の印をつけるそうですが、この祈りの言葉も「私たちは星屑からできている」ということとつながっていると思いました。私たちの誰しもがいつか灰になって星屑の元に還っていく。それを記憶に留めておくだけで少しイマジネーションが豊かになるような気がします。
シチズンについて
デザインソースの活動を通して、私が個人的にシチズンの根幹にあると思うのは「愛嬌」です。それは特に70~80年代の個性豊かな時計たちに凝縮されているような気がします。例えば、ツノクロノやアナデジやボイスメモやサウンドウイッチといった時計たちです。それらのモデルからは、余白を楽しむ遊び心と作り手のこだわりが伝わってきます。
液晶テレビをモチーフにしたオルタナという電波時計のデザインソーステキストのなかに「作家性とブランディングのマリアージュはあるか?」という一文がありました。私はそれを特にこのツノクロノやアナデジテンプといった時計たちの中に見出すことができると考えています。当時のデザイナーたちが各々の作家性と工業的デザイン行為のバランスを巧みに図りにながら、オルタナティブな時計を生み出そうとした軌跡がそこにはあります。
自分自身の興味について
©JANIS SNE
オープンソースのCGアプリケーションが急速に発展し、個人のクリエイターによる質の高いデジタルアート作品が数多く生み出されるようになりました。そこには質量をもたないデジタルならではの自由な発想があり、見るだけでワクワクするような造形的な魅力があります。その中の一人にJANIS SNEという主にテクニカルなスポーツウェアを題材にしたCGアーティストがいます。JANIS SNEは、洗練されたセンスによって近未来のテックウェアの構想を提示しています。それらの作品を見ていて私が感じるのは未来のサバイバリストのためのウェアだということです。それを身に着ける人に「今を生き抜く強さと未来に立ち向かう勇気」を与えるようなウェアだと思いました。そして、今回私がデザインするものも、その時計を身に着けてくれた人がそういう心持ちを持てるようなものにできればとも考えました。
デザインの方向性
造形的なデザインの方向性として念頭においていたのは「シンプルな骨格と遊び心のあるディテール」です。アウトラインはプリミティブな造形でありながらも、細部に遊び心のあるディテールを詰め込んだデザインにしています。
42mm x 37mmという外形寸法のなかであえて小さいムーブメントを使用することで余白を生み出し、それをキャンパスとしてさまざまな表現をためしてみたいと考えました。
構造は図のようにケースセンターと余白を大きくとったラグ付きの裏蓋に分かれており、それらを守るような形でアーマーパーツが組み合わさっています。アーマーパーツは同時にカスタムパーツとしての役割ももたせています。
アーマーパーツのカスタムの案としては、くすんだブルーや、サンドカラー、または大胆な赤のカラーを構想しました。バンドと合わせてこれらを組み合わせることで自分らしさを表現する。そんな遊び心が実現できたら面白いと考えています。
冒頭にお伝えしたように、思考をあらゆる方向に向けて、それを凝縮するようなデザインにしたいと考えていました。同時にオルタナティブな時計として今までに見たことがない時計、そしてシチズンらしい愛嬌を持った時計にしたいとも考えていました。もし一言コンセプトをつけるとすれば「見たことがないけど、懐かしい未来」のような言葉になると思います。
先の見えない未来におびえるのではなく、今を生き抜く強さと未来に立ち向かう勇気を持つ。そのために未来を親しみ深いものにする。それは「市民」という言葉を社名に掲げながらも数々の未来型時計を生み出し挑戦を重ねつづけてきたシチズンだからこそできることだと思います。
デザイン提案時資料